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鼻ぺちゃ犬は今日も元気! パグ・フレブルをはじめ 短吻純血種の預かり生活を綴る。
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2011/09/21 (Wed)

今日はちょっと長くなるよ。
書いてるうちに重たい話しになったから
命日である3日前にテキスト書いてたけど公開ためらってたんだ・・・



早いもので、3回目の命日。。。
ココではあまり太郎丸のことには触れなかったけど、
“ふがれす”と出合って、たくさんの行き場を失ったわんこ達を知ったのは太郎丸との別れがはじまりだった。
それがキッカケで色んなことを知って考えさせられた。
人間とペットというものの関係と環境。
その背景にある、それをシステム化している産業と恩恵。
それら一円を支配する法律や条例やモラル。
その部分を担っている行政。

現時点では、あまり核心に触れた保護活動ができずにいるけれど、この3年というのを節目に、今までの3年とこれからの自分を考えていきたい。
あまりマジに語りたくなかったけれど、あえて触れて語ろうかと思う。


自分の毎日がぽつぽつとチクタクと刻まれていってることを感じ、それが決していい方向ばかりでないと感じるこのごろ。
世間の様相にもそう感じる。この3年間。。。
眼を閉じると思いが巡る。。。


世の中と浮世離れした生き方は到底できない。

そう、
自分に知る必要がないことも、
眼を開ければ耳を澄ませば次々と情報が入ってくる。

その情報を操っているメディアにため息をつく。
そこで、現実というものは人間の私利私欲で世の中が動いていると思い知る。

そう、
私利私欲の結果は本当に求めていたことなのか?
今一度考えるべき。

今苦しいと気付いて「遅かった」と誰も言わない。

そう、
「遅かった」「間違ってた」って思ってるのに言わないし認めない。
口に出さなくても行動に移せばいいのだけれど・・・
一人で生きてるわけじゃないのだから周りには言わないとわからないのに。

自分や周辺で起こっていることを「気付くのが遅かった」ってちゃんと人に言える人はいるのだろうか。
国が、政治が、身内が、会社が、世間が、、、、、子供が、ペットが。
そうやって、何かのせいにして、思ってても言えない。
気付かない。いや気付いてても認めない。

そう、
自分の気持ちを持っていないように振る舞ってる。


何のために?


そう、
世間の同情を惹いたり、気の毒がってもらうために。
仕方ないよね。。。と思ってもらえるだろうために。


ちょっとごっちゃにすると、いや、ごっちゃにしてみよう。
回り回って同じことなんだから。
国は何のために統制作用である行政を担っているのか。
現実を言えば国民のレスキュー隊を担っているのか?
そうだ、そうかもしれない。
国は国民のあらゆる救済、保護、ちゃんとできるの?
国民は国に対して納得できないでいることを反論してちゃんと伝えられているの?
わたし達のペット救済は国の裏切りなどと同じなのだろうか。
ちゃんと救済してやれないでいたら、ペット達は文句を言うだろうか?
人の手によって生まれ、人の手によって終わる命がある現実。

そう、
言葉を持たない生き物だからと蔑視する愚かな考えはよそう。
もういい加減。。。

気持ちのあるコミュニティができることこそ人間らしいと思わないか?
そうすれば、言葉や思惑などに振り回されずに交信できるのに。
そう考えれば飾られて歪んだ言葉など要らない。。。


気持ちのあるコミュニティって人間ならではではないの?


わたしは太郎丸をブリーダーから迎えたことで、繁殖のかたぼを担いだとは思わないのに、今レスキューに関わるとブリードに対して疑念を感じなければならない。
しかし、今までしてきたことの結果に向き合わずに次に進んではならないと感じる。
本当に好きで高い志や価値感を持ってブリードしたのなら、対面の上で見届ければいい。
そうであれば、ショウケースに並べて販売などできないはず。
少なくとも、そのショウケースを覗く人々は「生きる小さな命」として見ている。
おもちゃやアクセサリーではないことを祈りたい。
もしそうであれば、産業のあり方がそうさせた。

今日にはじまったことは、今日のためだけではなく、
今日にはじまったことは、数年後に何かをもたらすことであると。

そして、
今日はじまったことが、きっと先に良い何かをもたらすことであるために前に進んでいかねばならない、と、自分のこれからのことを考える。


重たいけど、
太郎丸と「出会って」「失って」「知って」。
人間が何かをやって、良くないことになって、肝心の「命」というはじまりを軽んじてしまうのか。
すべてをくるくるとひとくくりの理念で考えてしまう。

人はこのまま次に向かって何かをはじめて、
悪くもたらすことを何十年も何百年もくるくると繰り返していくのか・・・
最小限でも、わたし達の次の世代にはそのことの危機を伝えていくべきだろう。


あぁ、重たいことだ。
でも、軽んじてはいけないことだ。

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